浄閑寺の史跡


新吉原総霊塔

現在の塔は昭和4年8月に、寛政5年(1793年)以来の供養塚を改修し、形を改め、名も「新吉原総霊塔」としたもので、前の塚は安政2年(1855年)10月2日の大地震に横死した遊女五百余人が運ばれ供養されていた。新吉原創業から廃業まで江戸、明治、大正、昭和と三百八十余年間に浄閑寺に葬られた遊女、遊女の子、遺手婆など遊郭関係のものや、安政、大正両度の大震災に死んだものを含めた推定数は二万五千に及ぶ。
豕塚(いのこづか)


侠客濡髪長五郎墓

首洗い井戸

白井権八に返り討ちにあった本庄兄弟の弟助八も兄助七の首を洗うところを無惨にも権八のために討ち果された。二人の霊を慰めんと首塚が建てられている
小夜衣供養地蔵尊

元々は境内にあったものが、現在は山門前に立っている。詳しいことはわかっていない。「悪い部分を撫でると良くなる」と言い伝えがあるようで、毎日のようにお参りの方が絶えない。
新比翼塚

永井荷風を浄閑寺へ誘ったのは、新比翼塚であった。
萩原秋巌先生の墓
荷風花畳型筆塚
三遊亭歌笑墓

 歌笑は戦後の人気はなし家であった。檀家ではないが、この墓の右隣にある松上家が妻の実家である関係からここに葬られたものである。
花又花酔句壁
ひまわり地蔵
永代合祀供養塔

平成18年5月25日開眼供養
板碑

鎌倉時代のものと言われています。
(本堂に保管してあり、一般に公開はしておりません)



【資料】
野尻氏による研究レポート(PDF 150KB)

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