銘板碑の追刻銘について
2009年5月10日
野尻作成
浄閑寺所蔵の正和2年11月日銘板碑の追刻銘について
1 調査に至る経過
八千代市村上の正覚院本尊「木造釈迦如来立像」(千葉県指定文化財)の延宝2年霜月吉祥日の修理銘札に「願主武州三輪村霊吟寺門弟願誉貞故」、厨子扉の墨書に「武州江戸三輪村霊吟寺 願主願誉貞故」とあり、平成19年8月八千代市の村上明彦氏から「三輪村霊吟寺」について問合せを受けた。今年度、八千代市立郷土博物館(担当主任学芸員佐藤誠氏)で同仏像の展示を開催している事を知り、同館に連絡し報告書を入手した。情報があれば、展示に反映したいとのことであった。
2 調査中間報告
三ノ輪浄閑寺には鎌倉時代の板碑があり、近世の追刻がある板碑として知られている。
正覚院釈迦如来像の首柄に書かれた墨書「松誉玄清 南無阿弥陀仏」の戒名は、浄閑寺の板碑の裏面銘「生国摂州大坂幾玉之住、奥田氏松誉玄清 延宝三乙卯年五月廿九日」の戒名に同一である。また、同院蔵の絹本墨色地蔵菩薩像には年不詳だが「松誉玄清奥田氏菩提之為」の墨書があり。板碑裏面銘にある「奥田氏」と同じである。
さらに「浄閑寺過去帳」第壱号冒頭の歴代住持の「二世聲蓮社念誉上人願故霊吟和尚 延宝二甲寅歳正月廿九日 十四年」と見える。
浄閑寺は、元禄9年の「浄土宗寺院由来書」巻下(『増上寺史料集』第7巻)によると、寛永6年正月25日天蓮社晴誉上人随行順波和尚の開山とされる。開山を明暦元年ともいう(東京都公文書館蔵「浄土宗明細帳」、『浄閑寺と荷風先生』『南千住の民俗』)。
順波は寛文元年に没し、二世霊吟がこれを継いだ(過去帳)。「三輪村霊吟寺門弟願誉貞故」の「霊吟寺」とは、浄閑寺二世住持の名で呼んだものではなかろうか?また、釈迦如来像の願主「門弟願誉貞故」の戒名も二世「願故霊吟」の「願」「故」を通名としていることも考えられ、「三輪村霊吟寺」が浄閑寺である可能性が高いと推定される。
【関係年表】
1629 寛永6年正月25日 天蓮社晴誉上人随行順波和尚浄閑寺開山(浄土宗寺院由来書)
1655 明暦元年 天蓮社晴誉上人随行順波和尚(浄土宗明細帳他)
1674 延宝2年正月29日 浄閑寺二世聲蓮社念誉上人願故霊吟和尚没(過去帳)
1674 延宝2年霜月吉祥日 「願主武州三輪村霊吟寺門弟願誉貞故」修正銘札
年不詳「松誉玄清奥田氏菩提之為」(絹本墨色地蔵菩薩像)
1674 延宝3年5月29日 「生国摂州大坂幾玉之住、奥田氏松誉玄清」(浄閑寺板碑追刻)
本尊:阿弥陀如来像
浄土宗 榮法山 浄閑寺
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浄閑寺は通称「投込寺」と呼ばれ、新吉原総霊塔や永井荷風の筆塚を始め、
数多くの史跡がありますが、特に花又花酔の川柳は有名です。
「生れては苦界 死しては浄閑寺」
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